この度は、義父の件につきまして、多くの皆様から励ましたのお言葉を頂戴し、心より御礼申し上げます。
納骨の目処も立ち、東京に戻ってくることができました。まだ群馬との往復はあるかもしれませんが、1つの区切りがついたことは確かです。
あとはお義母さんが、早く元気になってくれるのを祈るばかりです。孫の顔を見ることができたのは良かったと思うのですが。
それにしても、コロナ禍下の葬儀は、難しいものですね。お通夜や告別式はできませんでしたが、別途お別れの会などは、しばらくしてから出来るかもしれませんね。
あと、斎場へは立ち会うことはできませんでしたが、お骨を納める場面には、立ち会うことが出来たのが良かったです。
コロナで亡くなった場合は、斎場では、通常の時間では受け付けていただけず、時間外の取扱になって、見送りもできないのですが、お骨あげだけには参加できたのがせめてもの救いでした。
女性の担当者の方が丁寧に心を込めて説明し、誘導して下さって、とても悲しいながらも、全員が心穏やかにお骨を納めることができました。
とても優しい口調でお話ししながら、最後まで大切に扱っていただき、とても有難く感じました。義父の兄弟は本家の長男もコロナで入院し、お義母さんは施設から出られず、結局お骨を拾える人数は私を入れて定員の5人に丁度納まることになったのです。
これから長生きをしても、少子化・核家族化がすすむと、斎場でのお骨あげもだんだんと人数が減って行ってしまうのではないかと思うと、寂しいものを感じます。
昔は、親しかった人が亡くなり、火葬された後を見るのが少し怖かったのですが、最近はあまりそうのようなことを感じることはなくなってきました。
自分もやがてそうなる日が近くなってきているからか、土や灰に還る日が怖い反面、どこか懐かしくなってきているのかもしれません。
自分の存在が何よりも大切に愛おしく思えた時代は終わり、無価値な見栄えのしない老体が生きながらえている気がしているのも確かです。
家族や社会にとって、まだまだ役に立つ存在だと自負していたときは、自分のことも大切に思えたのかもしれませんが、だんだんと体が衰えてきて、自分の体が綺麗に思えなくなってくると、また大した仕事も出来なくなってくると、土や灰になる日が、どこか待ち遠しくなってくるかもしれません。
できるだけ頑張って生きてきたのだから、もういいだろう。私は、自分の衰えを感じながら、心のどかでそう言い聞かせているのかもしれません。
まだまだそう思うには早いかもしれませんが、義父に限っては晩年の闘病生活を鑑みると、『お疲れ様でした。今度こそゆっくりとお休みください』、と言ってあげたくなりました。
私もあと30年くらいは、出がらしになるまで、頑張って生きて、気持ちよく土に還ることが出来るようになりたいです。
話はそれますが、自分を見送ってくれる人が1人でもいてくれる幸せってあると思います。これからの時代、子供たちの世代は、どういう生き方をするのかは本人たちの自由です。
一人で生きても、家族が出来ても、それぞれの生き方は尊重さるべきです。それでも最後の最後で、たまには自分の話を聞いてくれる人がそばにいて、死んだ後には骨を拾ってくれる人がいる人生は、「いいものだ」、と思います。
目を閉じると、義父の生前の楽しそうにしている姿が目に浮かびます。失う者の悲しみ、心のストレスは徐々にですが、蓄積しているようです。
血圧の薬を飲んでも、心臓のドキドキは少し残っています。メンタルをこれ以上こじらせないためにも、明日からの仕事は心穏やかになんとか、取り組みたいと思います。
近くにいても、ブログの中でもお互いの心の交流、つながりはとてもありがたいものです。『年を取るのは素敵な事です』と、中島みゆきさんの歌詞のなかで出来ます。
肉体や精神の衰えはあっても、心のつながりを有難く大切に思うことは、年を取ることによって身に沁みると私は思います。そしてそれはきっと素敵なことだと思いたいのです。
この数日間、いろいろな事が続き凹んでいましたが、見ず知らずの私に対し、多くの皆様から心温める言葉をいただき、ほんとうにありがたく感じました。
心の支えになりました。
いろいろなことをバネにして、これからも頑張りたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。