加齢による方向感消失

最近、両親の健康不安や仕事のバタバタなどで、疲労感が蓄積している毎日が続きます。

今日も午前中は、両親の代わりに買い物に出かけ、お昼を一緒に食べるなど、ばたばたしていました。

そして、実家から家に帰る途中で、スーパーに寄って飲料水などを買ったものを車に積み込んでいると、年老いた男性から声をかけれれました。

西大泉の公民館に行きたいけど、今自分のいる場所が分からない、とのことでした。

折から雨が降ってきたため、その男性を車にのせて、車で男性が持っている地図に書いている目的に送ることにしました。

その男性は、目的地までの手書きの地図を持っていましたので、見せていただくと、奥様が書かれた地図でした。

細かく道順が書いてありますが、目印がお地蔵さんや個人宅で、銀行やスーパーなど、誰もが判る目印が書かれていません。

これだと、わからない・・・

男性は練馬区の西大泉に引っ越して来て20年近くになるが、ここまで方向感が無くなったことはないとのことでした。

少し車を走らせていただければ、分かると思うとのことでしたが、車を走られても、どこに自分がいるかわからないようでした。車をいったん止めて・・・

 

そこで、目的地の公民館をナビに入れて検索しても出てきません。これは困った。

男性は、ここ何ヶ月か急に方向感が無くなったとのこと、何度も何度も迷惑をかけて申し訳ない。現在82歳になるが、こんなことは今までなかった。

奥さんは先に出て公民館で待っている。遅れると奥さんに怒られる。そんなことを繰り返し繰り返しおっしゃっていました。

 

自分も今62歳。その姿は先日、父母と一緒に行った、父の笠間市の実家を、父の案内で訪問した時とまったく同じです。

毎日通っていた道でもほんの少し歩く順路が違ったり、曇り空で風景の色合いが違っただけで、方向感が消失してしまいます。

父の実家までは、父が案内してくれましたが、結局今自分がいる場所がわからなくなりました。

実家に電話をかけて住所聞いて、住所をナビに入れてようやく目的地の実家に辿り着くことができました。

数年前までは、とてもはっきり覚えていたのに、人の老化スピードは、ある年齢や状況を超えてくると、加速度的に早くなるように思えます。

私は、高熱がある時に新宿に出かけて、方向感を失い高層ビルの谷間を彷徨ったことがありますが、今ここにいる82歳の男性も全く同じ心境で、同じ状況なのだと思いました。

私もあと20年くらいすれば、きっと同じような状況になるのだと思います。

 

さて、この状況どうしたものか。

車を走らせながら考えましたが、いったん路肩に車を止めて、公民館をスマホで検索し、住所をナビに入れてようやく目的地の公民館に辿り着くことができました。

 

すごく感謝されましたが、公民館の目の前に来て初めて、公民館に付いたことを、その男性は認識することができたようです。

その場所は、男性をピックアップした場所からわずか数十メートルのところでした。

男性の奥さんの地図も今1つ分かりずらかったのですが、それでも男性の方向感の認知能力はかなり衰えていると思います。

自宅からはそこそこ離れていた場所で、私もそれほど土地勘がある訳ではなかったので、右往左往しました。

もう少し私も若ければ、地図の目的地を車を走らせる前にスマホで入力して、半分くらいの時間で目的地に着くことが出来たかもしれません。

60歳を過ぎた今、今回の対応は、40~50歳代の頃の自分と較べると、明らかにスームズさに欠ける対応だった気がします。

その男性を放っておけなかったのは、きっと将来の自分の姿が見えたのかもしれません。

今はまだ、今後の事を漠然とした不安として考え、用心する感覚はありますが、年齢ととともに、感覚は衰え、方向感が消失してしまうと共に感性や知覚も衰えていくのだと思います。

私はそれは仕方がないし、ある意味良い事だとさえ思えます。死への助走、少なからず準備体操のようなものではないでしょうか。

父は80歳代の頃は、夜中に死の恐怖を感じたのか寂しくて、私の携帯に電話をかけてきた時があります。

90歳をすきてからは、携帯の多くの機能を使えなくなり、ショートメールの機能も忘れてしまい、電話をかけるのがやっとのようです。

死ぬことの恐怖も以前ほどは感じてないようです。感覚が衰えることは、悪ことばかりではない気がします。

 

腰の骨も弱くなり、30メートルくらい歩けば、休憩が必要で、お金の管理もままならないようです。

高齢化社会でも医療の進歩により、誰もが100歳くらいまで生きれる可能性が高まってきていますが、体や脳の機能が従来と同じように、いつまでも維持できているとは限りません。

徘徊の一歩手前や、迷子になる人も増えると思います。営業をしていた頃も、大田区の住宅地で何回か、徘徊しているお年寄りを施設まで送ったことが事があります。

中には交通事故に巻き込まれたり、そのまま行方不明になってしまう方もいるのでしょうね。

そうなる前の残り少ない期間。本当は仕事などしたくないのですが、あと少し、年金がもらえるようになるまでは、なんとか勤めていないと経済的にも回って行かいようです。

夕暮れの中、暗くなりつつある薄暮の景色。今日の82歳の男性は、少し先の未来から来た自分のような気がしてなりませんでした。

家に帰るとブログマスコットのウリボウ達が、『元気を出しなよ』と言ってくれているような気がしました。

開封したばかりのリズモア12年特級、クリーミーな優しい味わいにくるまれて、今日一日を振り返ると、年を取るのも悪い事だけではないように思えました。

自分が自然に灰になり静かに消えていく未来も、少しは愛おしく思えることがたまにはあるのでした。

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