義父との別れと四面楚歌

※使い方にいろいろ悩んだ末、ブックマーク、はてなスターを止めることにいたしました。勝手な対応を平にご容赦願います。何かございましたら、コメント欄を中心にご連絡いたしますので、よろしくお願いいたします。また、気が向いた時だけでも、一言でもいただけるととても嬉しいです。

また、私がコメントを書いたからといって、コメントをフォローいただいたり、お気遣いなく、気楽にお付き合いいただきますようお願いいたします。また、私もコメント等にお応えできない場合もありますので、見落とした場合などはご容赦のほどお願いいたします。

 

 

<本文>

人の運命には幸不幸の流れというものがあり、一たび良くないことが起きるとその流れは結構つながって起こるものだと思います。その流れの中では一個人ではどうしょうもないこと、人の世の中ではあると思います。

私の甘い見立てで、税金を追納し、ブログではブックマークの使い方の不備を指摘され、仕事でもトラブルが起き、まさに四面楚歌の状態で、さらに義父の訃報に接しました。

特に会社では2日連続して結構な修羅場・バタバタしたことがあり、休みの今日も映画を見ている時に、電話がかかってきました。

私は気が強い方ですが、過去一度だけメンタルをやられた時があり、3ケ月程度会社を休んだことがあります。

今回もかなり追い込まれ、60歳以降の勤めという事もあり、もう限界かなとも思いましたが、周囲に支えられ、気力を振り絞って明日会社に出ようとしています。

恐らく来週は忌引きで数日お休みを取ると思いますが、最近は追い込まれつつも、どこか別の次元から客観的に今の自分を見つめている自分がいるような気がして、心の平静が保てている気がします。

11月に奥さんの実家に帰った時も、なんとか元気そうには見えましたが、癌を患い、人工透析を受け、晩年は辛い闘病生活を余儀なくされていました。

もっと前回帰った時に話をしておけばと後悔していますが、娘と話すのもやっとの状態でしたので、ゆっくり話すこともできませんでした。

元気な頃は、晩酌を一緒に楽しんだりもしましたが、決して深酒はせず、自分のペースでゆっくりお酒を楽しまれていた気がします。

また、義父は寡黙な方で、自分が出来る仕事を娘たちが成人するまで黙々と勤め上げ、引退しては地域の人との交流を楽しみながら、老後を過ごしていたと思います。

晩年は体調を崩し、闘病生活を続けていましたが、周りには体の痛みなどはあまり漏らさず、我慢強い人だった印象が強いです。

これから葬儀の日程が決まりますが、病院施設でコロナに罹患して亡くなったため、葬儀を受けてくれる会社も少なく、日程はこれから決まります。

 

別れの日は遠からず来ることは分かっていても、自分の日々の生活が中心になって、この日を迎えてしまったことはとても内心忸怩たるものがあります。

自分の父親にしてきたことと同じようなことはできなかったと思います。せめて耳が聞きづらくなっていたときに、補聴器を買えってプレゼントできなかったことが、心残りでなりません。

唯一の思い出は結婚して間もない頃、奥さんの両親と4人で伊豆を旅行し、ちょっぴり贅沢な旅館に泊まったことがあるくらいです。楽しんでいただけたか分かりませんが、それが思い出せることが、唯一の心の救いのような気がします。

60歳を過ぎて、あと20年~30年経ち自分も同じような年齢になり、同じく闘病する可能性も十分になります。もっと言えば、不摂生だった分、もっと早く私の場合はその日が来ることが速い(早い)のだと思います。

 

最近、多くの事に手を染めてきた分、身動きが公私にわたって取れなくなってきています。仕事も処理能力が経験値を超えてくると勤まらなくなってきますし、健康の不安も増すばかりです。

回りの親しい人が一人ず消えていくのも寂しい限りです。精神の平穏はなんとか、自分を第三者的に見ることによって、平静を保っていますが、実際もっともっと自分の身近な人の不幸に見舞われれば、いつまでも取り乱さずにいることはできないと思います。

こういう時になって初めて、人は失う事の辛さを身に沁みて感じるのだと思います。それ以外で感じ続けると、おそらく精神の安静を保つことが出来なくなるのだと思います。

連日の仕事のトラブルで、動悸が高まり、血圧も上がり、これはもう会社には行けないかと思いましたが、血圧の薬を飲むと動悸は不思議とおさまりました。

また、なんとか平静を取り戻すことができました。1人しかいない同僚も、私の出社を待っていてくれています。まだ、会社でも私の事を必要としてくれる人が1人でもいれば頑張れると思います。

 

来週の音楽イベントは出ることは出来ないかもしれませんが、明日会社に行って、月末処理の段取りだけは目途を付けておきたいと思います。

 

今しがた、お正月に録画した『三屋清左衛門残実録』を見ました。最後に出てくる言葉が心に残ります。『日残りて昏(く)るるに未だ遠し』

私は、今まで自分の半生になぞらえて、会社での役職の望みがなくなり、終わらない住宅ローンを抱える自分を思い描き、そんな自分が痛い膝を引きずりながら、夕日の中をいまだに遠い自宅までの道のりを前に、途方に暮れているイメージで理解していました。

そうではなくて、60歳を過ぎた私でも、「まだまだ日が完全に沈んで夜になるまでの時間がまだまだある。老いてもまだ血気盛んに取り込むことの大切さ」を訴えていることを知りました。

 

その意気ですね。自分の人生、どう生きても自分の人生です。考えと体力が及ぶ限り、たとえ四面楚歌の状況でも進んでいくしかないのだと思います。

 

今日は、別れにふさわしいウイスキーを飲んで休みたいと思います。響の初期ボトルです。

ストレートで飲んでいますが、疲れているせいかあまり強く感じません。やさしい深い穏やかな甘さが心に浸みます。琥珀色の深い色合いを見つめていると、贅沢をしなかった義父の姿が脳裏に浮かびます。

やがて私も旅立ち、相まみえることになれば、お義父さんにもウイスキーを愉しんでもらえたらと思います。

お義父さんが、いつも缶チューハイを美味しそうに飲んでいる姿が思い出されます。そういえば、持っていった日本酒を一緒に飲んだ時に、『度数が、つよい、つよい』と言っていたのが思い出されました。

私がいつも飲んでいるウイスキーはどんなに低くても40度ですから、何て言うかな~その辺の感想は、また逢う日まで楽しみにしておこうと思います。

今日は、まったくのプライベートな話で申し訳ございませんでした。

それでは失礼いたします。

 

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