朝起きると、部屋の中が少し新鮮に見えます。かねてから気になっていた笠間行きも無事終了。
お墓参りや親戚の挨拶も終え、一区切りがついたからかもしれませんね。
笠間稲荷の門前町でおそばを食べて帰りました。笠間はイオンモールとか出来ていましたが、街並みはあまり変わっていません。時が止まった感じがします。
親戚の家は、家の前が広大な畑のような庭になっていて、柿やショウガ、冬瓜なども栽培されていて、すごかったです。
父も子供の頃は、ここで育ったとのこと。笠間で会った人々には、後継者がいなくて、家もお墓もそのうち無縁墓や空き家になってしまうのでしょう。
現に、豪華なお隣のお屋敷も、縁者が途絶え、今では狸の根城になっているとのことでした。
坂を上がって行った当家のお墓も私は10年ぶり以上だったのですが、お墓の敷地内に植わっていた小さ目の木が大木になっていたのではびっくりしました。
お墓も私の代以降はどうなってしまうのでしょうか。父はお墓に刻まれだ文字がどれも薄くなっているので墓誌(墓碑)も作りたいと言っていましたが、墓じまいの可能性も濃厚なので、これ以上お金をかけても言う気がします。
お墓は土の地面が結構広く、石が敷いていないところはフカフカしていました。納骨堂は作らず、当家は土に還るという意味で、骨壺ごと穴を掘って土中に深く埋めるそうです。
長い年月の間に土に還るのは良い事なのかもしれませんね。奥さんも、子供も笠間に来ることは車の免許もないので、ほぼ不可能でしょう。
先代の住職からは、お墓が広いので半分ほどお寺に譲って欲しいという依頼があったようですが、縁者がいなくなれば、お墓の処分も含めてお任せするしかないと思います。
茨城の曹洞宗の古刹。uribou家がこの地に来たのは、九州の延岡からで享保年間頃だともいます。メインの墓石の後ろにある墓石は3つほどありますが、九州から運んできたもののようです。
そういうものを自分の代で終わりにするのは寂しい気もするのですが、奥さんや子供に、生きていくだけでも大変な世の中。死んだ者のために苦労をかけるのは避けたい気持ちでいっぱいです。
核家族化が更に進行した先は、係累消滅化。空き家以上に身寄りのない遺体やお墓が増え、寂しい活気のない社会になってくる気がします。
移民してきた外国の人が、『そこは昔日本人が住んでいた場所だよ』というような感じになってしまうのでしょうね。
旧笠間城に上る山道の右手にあったuribou家の敷地も、坂本九さんの記念館になっていたので、地元の人は大島家に土地を売ったと思っている人も多いようです。
私自身、子供の頃小学校に父が私を迎えに来て、祖父のお葬式に出た記憶があります。むしろ納骨式だったのかもしれません。
お墓に正方形の深い穴を掘って遺骨を安置するのが怖かったのを覚えています。
江戸時代は、火葬しない時は、土葬で埋めていたのかもしれませんね。
私にとっては、知っている人は誰も入っていないお墓。父や母もなくなれば、同じように埋葬しようと思います。そして私もできればそうしてほしい。
子供は結婚もするかどうかわかりませんが、お墓はちゃんと守ると言ってくれています。まあ、随分以前の話で、自分自身も結婚しなければその先は難しいのではないでしょうか。
いつまでもそんなことを考えても仕方がないのでさっさと起きて、巾着のお届け、笠間でもらった冬瓜の料理(注)を2点ほど作り、両親に届け、家に帰ってお風呂の掃除をする。
なんとか、奥さんが仕事から帰ってくるまでに、そこまでは今日の日課として終わらせたいですね。
それが終わったら、ゆっくりお風呂に入ってウイスキーを飲むとしましょう。
(注)今日作ったのは、イカと冬瓜の煮もの。豚肉とナスとエリンギと冬瓜の炒め物