最近、吉永小百合さんのテレビコマーシャルなどで、関東の最後の秘境のような笠間市が少しだけですが、脚光を浴びています。
今まではそんなことがなかっただけに、地元の方々は、多少困惑しています。
ただし、都内で見られるような外国人の観光客はほとんどなく、近郊から足を延ばしてこられた方がほとんどのようです。
昨日は、笠間小学校の前で流鏑馬の行事が行われたとのこと。名物のモンブラン以外にも様々な特産物を活用した商品もあり、笠間市も少しずつ全国にアピールしていけるものが増えつつあるように思えます。
ただし、茨城県の強みは、生産量日本一と言う品目は結構あっても、松坂牛とかとちおとめとか、ブランドになっている品目がないことが弱みだと言えます。
なかなか有名人とかも排出しない地味な街ですが、これからは、全国に通用するブランド品をなんとか生み出して行ってくれればと思います。
まあ、そんな中で、笠間稲荷は一応日本三大稲荷の1つに数えられています。所説はありますが、歴史もあり笠間市を訪問されたら、是非とも訪問いただきたいお稲荷様だと思います。
歌手の坂本九さんもお母様の実家が種屋さんを営まれていて、戦争中は坂本九さんも疎開されてこられていたようです。
また、笠間市には、江戸時代笠間藩だっだ頃、赤穂藩に国替え(転封)になる前は、浅野家が笠間にいたときもありました。
大石内蔵助の銅像なども屋敷跡にあり、このくだりの解説も丁寧にされていました。
牧野家が浅野家の代わりに転封された後、明治までは、牧野家の領地として続きます。
笠間焼などは、牧野家の藩主が焼き物を奨励したことにより、発展した経緯があるようです。
さて、この菊まつりの起こりは日清・日露戦争後の復興に端を発しているようです。
展示されている菊の鉢植えや様々な展示作品を見るにつけて、すごくお金と時間をかけた素晴らしい作品がたくさん展示されています。
神社の本殿まで続く菊の展示は、その裏まで続き、果てしなく続いているように見えます。
たくさんの菊の鉢が展示されていますが、取り組む方が多く、選に漏れて展示されない方も結構いらっしゃるとこの事です。
あと、菊まつりでは、大河ドラマの一場面(シーン)の菊人形の展示が人気を博していました。
全部菊で装飾されて見事な出来栄えになっています。
その他境内には仲見世通りや様々な展示があり、見ていて楽しめるものがたくさんありました。
笠間市には過去数回訪問していますが、法事やゴルフのとんぼ返りが多く、ゆっくり市内観光をしたことがなかったと思います。
菊祭りの見学は、父の従弟の方が案内してくださり、見どころを隈なく網羅できたと思います。
今日も日帰りですが、市内の従弟の方の家にもお伺いして、昭和初期の頃の父の思い出話を親戚の方々としたり。
また、庭で栽培されている様々な果樹を見せていただくなど、とても有意義な経験をすることができました。
お土産もたくさんいただいてしまいました。
さて、帰りは休憩もかねて笠間の道の駅に立ち寄りました。名物の地元の新栗を使ったモンブランも食べることができ、奥さんにもお土産として1つ買って帰ることもできました。
笠間稲荷の境内でも、道の駅でも大きな栗が販売されており、菊祭りと栗の販売が終わるまでは、笠間市の賑わいもしばらく続くのではないかと思います。
12月の初旬頃、賑わいも一段落した頃、日動美術館や笠間芸術の森公園、笠間クラインガルテン、笠間工芸の丘も水戸あたりの安いホテルに宿泊して、ゆっくり見て回りたいと思います。
家に帰かえるとさすがに疲れが出たのか、ウイスキーを飲んだらすぐ眠くなってきました。ボトルを開栓したしたが、その感想は後日ゆっくりお伝えいたします。
当ブログマスコットのウリボウたちが不満そうにしていますが、今日はこの辺で失礼いたします。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。