今週のお題「住みたい場所」に久しぶりに応募しました。このお題を見て、最初に思い浮かんだのが、「釈 月性」の『将東遊題壁』です。
男児立志出郷関
学若無成死不還
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山
昔は、漢詩が好きで、文庫本で漢詩撰などをよく持ち歩いて読んでいたのですが、ある本の最後に載っていたのがこの漢詩でした。
かなり心に残っていた漢詩です。ざっくりとした意味は、
『志を抱いて故郷をでたら、学(志や目的、学問も含めて)を達成するまでは、死ぬまで故郷(の家)に戻らない。死んで骨を埋めるのは何も故郷のお墓だけではない。死んで骨をめる場所(青山:永住の場所)は、人間いたるところにあるのだから。』
私が解釈している意味はそんな感じでした。でもウィスキーを飲みながら、もう一つの解釈が載せられていることを思い出しました。
日本人の儚い発想かもしれませんが、こういう考え方に憧れていたのかもしれません。でも、その本のもう一つの解釈は、『人間が最終的に暮らしていく場所は、人と人の間にこそある。人間をジンカンと読むというもの』でした。
どこに行っても、人間のコミュニティは「捨てる神ありゃ拾う神あり」、「良いことも悪こともありの闇鍋のような世界」ですが、狭い日本、突き詰めて考えてみると、なるほど『じんかん(人間)いたるところ 青山あり』が少しずつ、歳のせいかピンと来る気がしてきます。
私も一人でいたい時もありますが、人とのつながりで物事がうまくいったり、商店街で買い物を楽しんだりしながら人と触れ合う時、この言葉は人間(にんげん)ではく、(じんかん)がふさわしいのではないかと、最近少し思ったりします。
山崎180㎖のミニボトルを飲み終えて、少し酔ってつまらないことを申し上げました。
お金もないので、海外の移住とかはできませんが、せめて今住んでいる場所を「住みたい場所」として、楽しく余生を暮らしたいと思っています。