父が仏壇の奥から何か引っ張り出してきました。ぼろぼろになった家系図です。カロートも出来たし、次は家系図直しをと思っているようです。

よく見ると家系図にはお爺さんの代までしか、載っていません。
あと、初代の没年月日は不明になっています。私はこの家系図でいうと9代目になります。息子で10代。そんなに古い家ではないようです。いろいろ調べ始めると・・・
我が家は、笠間牧野家の下級士族だったようで、いまなら万年平のサラリーマンのようなものです。
同格で出世したのは、小野友五郎さんです。最後は咸臨丸にも乗り込み幕臣までなって活躍した人です。


曽おじいさんの役職は、四両二人扶持、勤中25俵。茨城県資料近世政治編には、「軍務所斥候方筆生兼軍務周旋方下役」とあります。
大阪上代の殿様に随伴して上京していたそうです。詳しくは分かりません。でも、下役ですから、何かあれば真っ先に命を落とす可能性はあったと思います。
鳥羽伏見の戦いで、大阪城にいて軍務所斥候方筆生兼軍務周旋方下役の勤めは、想像するのも恐ろしい感じがします。
我が家は代々、下役でこき使われてきたようですね。でも良く生き残れたものです。
笠間市設立の頃の資料にも名前はありましたが、20~30人くらいいる中の下の方に載っていました。
廃藩置県のころも役人として出仕していたようです。その頃の書類も残っていますので、そのうち整理しておくつもりです。
さて、家系図ですが、初代の没年月日は墓石に書かれていました。享保16年辛亥正月?この日付を入れることが出来ます。

あとは、めんどうなので、私の子供まで名前を入れて作り変えておこうと思います。
息子に見てもらえば、結婚して子孫を残して、お墓を守ろうと思ってくれるかもしれません。
期待してはいけないと思いながらも、なんとか維持したいと思ってしまいます。
この写真の小さい墓石は九州の延岡から笠間まで運んで来たものとのことです。



1つだけでゆうに50キロはありそうです。それを3つも・・・お墓に対する先祖の思いはいかばかりかと思います。
さぞかしお金がかかったかと思われます。家内の納骨も終わり落ち着いたら、延岡時代の菩提寺も調べて見たい気がします。家系図の修復、お墓の調査・・・
無職の暇人にはちょうど良い作業かもしれません。

