この2年近く、家内の闘病に悩み続けてきましたが、予後半年と言われてから1年以上も頑張ってくれたものと思います。
正直、がんが判ったときは、手の施しようがない状態だったと思います。素人の私が見ても分かりました。
子宮体がんは、治りにくいがんで子宮を周辺に広がり、他の臓器にも浸潤していきます。
なかなか通常の簡単な健康診断では見つからないのかもしれません。私の会社の健保のままなら、スーパーの勤務なんてさせなければよかった・・・
私の会社の健保のままでもオプションの検査を受けてもらっていた可能性は低いですね。オプションの検査にも該当のものは見当たりませんでした。
もうこれ以上、考えても仕方のないことですね・・・・でも気が付けば、60歳を過ぎ、老後は家内とのんびり暮らしたい。一緒に旅でもしたい(家内は出不精でしたが)、41年間も何のために働いてきたのか。
もっと家族のことを考えてこれなかったか。あまりにも仕事に比重を置きすぎた結果がこの悲しい結末を招いたのか。自分の会社も家内の会社も誰も恨めない・・・
ふと気が付くとこのような妄想をしてしまいます。まだ痛みに耐えかねる家内の声が脳裏から離れず、お酒を飲んでも寝付けない日々が続きます。
ぼんやりしよう。そう思ってもぼんやりしているのかもわかりません。主治医の先生からは、さかんに在宅医療の手配とホスピスの見学を急ぐように言われていました。
ホスピスの見学を終わり、入院(入所?)日時も決まり、さらに症状が悪化して、在宅で息を引き取る。「家だと看取ることが出来見ますよ。」
在宅診療の先生からは、言われていましたが、奥さんは親戚がホスピスでげんなりやせていた姿を見ていたためか、入所をなかなか決めかねていたのかもしれません。まあ、片道キップですから・・・
それでも、そろそろ一緒に病院を見に行く予定でしたが、それもかなわず、私一人で受付して、最後は入院直前で他界・・・
先生方はオブラートに包んで言ってくれますが、聞き手としては最大限の希望値で聞いてしまいます。
私が弱いから担当の先生は考えてくれたのだと思います。でも妻も最後まで一日でも長く頑張ろう、生きようとしていました。
私も自分の命。大事にしよう。生きることはただそれだけでも意味がある。今回の経験でそう思うようにしたいです。きっと家内も息子と私に頑張って生きて欲しいと願っていたと思っています。
眠れない日が長く続きました。洋酒を買ってはブログを書いていました。それが息抜き、私の逃避行でした。私がお金を使っていれば奥さんも服や欲しいものをたくさん買ってくれるのではないかと思いました。でも私の逃げだったのですね・・・
とにかく終わりました。私の在宅治療の覚悟は少し甘かったかもしれません。
家内を死なせてしまったことを家内の実家に報告するべき人もほとんどいません。懺悔の訪問も叶いません。
一段落したらバーや飲食店を巡る小旅行をしよう・・・これからの人生を考えるためにもぼんやりしたいです。