日曜日の午後、天気がとても良いので、刈り取りが終わる前に最後に麦畑を見ておこうと思い、散歩に出かけました。
最近では、珍しくいい天気だったと思います。
ふと電柱を見上げると、キジバトのような影が見えます。何かをじっと見ているようです。
近くで何やらごそごそ音がします。なんと大きなキジバト君がのっそり歩いています。さかんに何かを食べています。虫でしょうか?それとも麦の落穂でしょうか?
動画も撮りました。30秒ちょっとです。
普通のハトとの混血でしょうか?行動が少し鈍く、人のそばにいても平気です。野良猫に見つかったらすぐ食べられてしまいそうです。
この辺には野良猫、全然いませんが・・・
この数か月、この麦を見ているだけで勇気づけられました。この麦がなくなると次は何が栽培されるのか楽しみです。
しばらく土地を休ませてからになると思いますが、作物が成長する様を見るのはとても楽しみです。
家のすぐ隣の畑では、ネギが元気よく育っています。葱の青さも見ているとすがすがしいですね。
庭では、ヒョウタンが元気です。最初に受粉したものが、だいぶ大きくなってきました。ここまで来たら、もう大丈夫だと思います。
雌花が1つだけ咲いていました。雄花は1つも咲いていないので、受粉はできませんでした。
形も良いので、受粉してくれればと思ったのですが、悲しいかなこの花が実になることは無いでしょう。
この世の悲しい宿命として、どんなに美しくても形として後世に残らないものが沢山あるのが、ほとんどなのかもしれません。
私たちが生まれてきて、この世のなかに存在すること『有難い存在』(可能性として非常にまれな、奇跡とも思えるくらいの確率)であることを、世界の人々が理解したら、もっと世界は住みやすくなるのに。
そんなことをふと思ったりもしました。世界で起きている悲しい紛争や出来事を見るにつけ、このアニメをいつも思い出してしまいます。
最後に人類は皆滅んでしまうのですが、宇宙の理からすればどうということは無いのかもしれません。救いはあるような、無いような。
狭いコミュニティでも、喧嘩する阿呆がいれば、『こんな小さな仲間内で喧嘩するなよ。仲良くしなよ』と思わず言ってしまいます。それが出来ないのが悲しいですね。自分が正しいと思ったら、後に引けないのですね。
今日は、最後に先日目白の田中屋さんで買ってきたアードモアのボトルを開けます。きっとこんなことを考えながら飲むと苦く感じると思います。